Jujo's History

十条の歴史

駅開業111年を迎える「十条」駅。
さらなる未来が楽しみな街へ。

2021年で駅開業111年を迎える「十条」駅。大規模な駅前再開発「十条駅西口地区第一種市街地再開発事業」は、2024年の完成を目指して進められています。活気あふれる商店街のイメージが強い十条は、古くからの歴史に彩られ、現在では高利便な電車アクセスや、文教の地としての一面も持つなど、その豊かな歴史とともにさまざまな変遷を経ながら成熟と発展を続けています。

赤羽台第3号古墳石室
(飛鳥山記念館所蔵)

A.D.400年頃
〈古墳時代後期〉

古来より人々が暮らしを営んだ地。

北区には「十条台古墳群」「赤羽台古墳群」「飛鳥山古墳群」があり、古来から人々が暮らしを営んだ形跡が残されています。「十条台古墳群」は、「東十条駅」付近にある3基の円墳跡と、「十条駅」周辺にある冨士塚古墳(推定)からなるもので、十条が古くから人々が生活を営んだ街であることを偲ばせます。
※出典 北区飛鳥山博物館ホームページより

十条冨士神社
(2017年9月撮影・北区中央図書館所蔵)

1448年以降
〈室町・江戸時代〉

室町時代にまで遡る
「十条」の地名。

史料に「十条」という地名が初めて出てくるのは、室町時代のこと。十条という地名の由来は諸説あり、条里制の名残や、紀州の「十畳峠」にちなんだものなどと伝えられています。江戸時代には、王子方面から岩淵を経て埼玉県へ抜ける「旧岩槻街道」が通り、街道沿いにある地福寺は「十條村のお地蔵様」と昔から信仰を集めていました。また、毎年7月1日の冨士山の山開きの日には、「江戸七富士巡り」のひとつ十条冨士神社(十条冨士塚)で大きな縁日(通称「お冨士さん」)が催されています。※十条冨士神社は現在改築のため移設中
※出典:自治会・町会ふれあいネット「十条仲原一丁目町会」ホームページ、北区飛鳥山博物館ホームページより

石神井川の桜(加賀公園付近)
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1679

加賀藩下屋敷があった
由緒ある地。

「十条」駅より南西方面の、加賀1~2丁目、板橋3~4丁目一体は、加賀藩前田家の下屋敷がありました。その歴史は、1679年、五代藩主・前田綱紀が板橋宿平野の地に6万坪の土地を拝領したことに始まります。その後拡張がすすみ、最終的には約21万8千坪の広大な屋敷が築かれました。広大な敷地の中には石神井川が流れ、築山や石、滝などが配され、前田家の別荘として鷹狩りや園遊会も催されたといわれています。
※出典:「いたばしらいふ.com」ホームページより

昭和43年頃の赤羽駅を走る貨物列車
(北区中央図書館所蔵)

1910

人口増加にともない
「十条」駅開業。

明治初期、加賀藩下屋敷跡地(現在の加賀町付近)には、 当時の政府により火薬工場が設置されました。その後、明治中期頃には人口の増加とともに、駅が必要となり、1910年に「十条」駅が開業。工都における工業の先駆けとして発展し、現在ではその遺構や建造物が近代化遺産・産業遺産としても評価されています。煉瓦造りで有名な中央図書館も、当時の施設の一部を活用したものです。
※出典:板橋区ホームページより

1962年頃の「十条銀座」
(北区中央図書館所蔵)

1923

関東大震災後に、
商店街が形成。

関東大震災を経て、東京の低地部や都心部から郊外へ移住するようになり、十条地区も人口が急増し、農村から町へと発展しました。大量の食料品、日用品の需要が生まれ、商店街も形成されました。これが現在の十条銀座、十条富士見銀座へと発展していきます。また当時、十条仲原には篠原演芸場という大衆演劇の劇場がつくられ、娯楽の町としても名を馳せました。
※出典:自治会・町会ふれあいネット「十条仲原一丁目町会」ホームページ、「みんなでつくる北区景観百選2019」ガイドブックより

帝京大学
(2021年6月撮影)

1946

大学キャンパスとともに
文教の地へ。

1946年、東京大空襲により、東京家政大学(当時渡辺女学校)が移転。1965年には東京成徳短期大学開学の文科学部が設置されました。1971年には帝京大学板橋キャンパス、医学部医学科を設置、医学部附属病院が開院。現在に至るまで、「十条」駅は学生たちで賑わい、活気にあふれています。
※出典:「東京家政大学」ホームページ、「東京成徳大学・東京成徳短期大学」ホームページ、「帝京大学」ホームページより

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1977

北区最大の
アーケード商店街に。

明治30年代後半から店が出来はじめ、十条の街は徐々に商店街の街として大きく発展しました。昭和初期の1938年に、十条銀座は商業組合として正式に登記し、「東京十條銀座商店街商業組合」となりました。その後、1952年時点で加盟店数は152店に増加。1978年から1979年にかけては、現在のアーケードが整備されました。東京都北区では最大規模の商店街として今も賑わいを見せています。
※出典:北区観光ホームページ「歩きたくなるまち北区」、
「十条銀座商店街」ホームページより

JR埼京線(image photo)

1985

埼京線開業。
新宿、渋谷へも延伸。

1985年、赤羽線から呼称変更し、JR埼京線が運行を開始しました。当初は「池袋」駅止まりでしたが、翌年には「新宿」駅にも延伸され、さらに利便性の高い路線へと発展。1996年には、「渋谷」駅、「恵比寿」駅に延伸し、さらに都心主要駅へのアクセスが快適になりました。
※出典:「週刊歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR No.45(朝日新聞出版)」より

  • 新宿駅
    (image photo)
  • 渋谷駅
    (image photo)
東京テレポート駅(image photo)

2002

大崎駅へ延伸。
湾岸エリアへ乗入れ。

JR埼京線は、2002年に「大崎」駅へ延伸、同時にりんかい線との相互直通運転も開始され、乗り換えなしで湾岸エリアへのアクセスが可能となりました。また、「十条」駅を中心とした約1.5kmの区間において、鉄道を高架化し、道路と鉄道を連続的に立体交差化する都市計画が2017年に決定しました。
※出典:JR東日本ホームページ「JR東日本発足からのあゆみ」、
北区ホームページより

  • 大崎駅
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  • 国際展示場駅
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2004

「十条駅西口市街地
再開発事業勉強会」を開始。

「十条」駅周辺は、店舗・事務所・住宅などが混在した古くからの駅前商業地を形成。そのため、駅前立地にふさわしい土地の有効・高度利用が図られておらず、交通混雑を招いている状況がありました。また、一部で古い木造家屋が密集しており、防災上の課題も抱えていました。これらを改善するべく、駅周辺地区のさらなる発展を目指し、2004年より「十条駅西口市街地再開発事業勉強会」を開始。その後、2017年に「十条駅西口地区市街地再開発組合」が設立認可を経て、2021年3月に工事が着工されました。

2024年度(予定)

そして「十条駅西口地区
第一種市街地再開発事業」へ。

再開発事業完成予想CG

※再開発事業は、「十条駅西口地区第一種市街地再開発事業」の計画に基づくもので、今後変更となる場合があります。
※掲載の再開発事業完成予想CGは、計画段階の図面を基に描き起こし、敷地外の建物の大きさ・高さ等は航空写真・3次元都市データを基に描き起こし合成したもので実際とは異なります。フェンス・照明・雨樋・排水設備・室外機・排気口等、一部再現されていない設備機器がございます。タイル・石貼りの大きさは実際とは異なります。植栽は計画段階のもので、変更になる場合があります。葉や花の色合い、枝ぶり、樹形は想定であり、実際とは異なります。特定の季節・時期、または完成時期を想定して描かれたものではありません。計画地内及び周辺の周辺の建物・電柱・電線・標識・ガードレール等は省略またはライン等で表現しており、実際とは異なります。また、人物・自動車等はイメージとなります。予めご了承ください。
※掲載の情報は2021年7月現在のものです。今後変更になる場合があります。